忘れない

東日本大震災から7年が経ちました。家族や知人が被災して大変な思いをしたこともあったし、その後の人生が変わってしまったことも今となっては変えられないのだけど、そのことから感じたことをずっと忘れないでいたい。少なからず学んだ事はこの先、役に立つこともあるのかも知れない。
掲載写真は昨年夏に訪れた宮城県石巻市、牡鹿半島で開催されていたリボーン・アート・フェスティバルでの展示作品で、石巻市在住の写真家さんが震災以降撮り続けている「いしのまきのあさ」という作品。
休校中の小学校の音楽室の四方の壁いっぱいに並べられた200枚近くもの写真、圧倒的な力を感じて見いってしまいました。
ひまわりが咲く頃

石巻市内ではあちらこちらでひまわりの花が咲いていました。
それはあるアーティストさんが震災復興のために立ち上げたひまわりプロジェクト。
(数日前に掲載した)大川小学校でも咲いていましたよ。(掲載したものには写っていないけれど)
(宮城県石巻市 日和山公園)
日和山

幾度となく様々なメディアで目にして来た日和山(ひよりやま)公園から見る、
太平洋・石巻湾へと注ぐ旧北上川河口と日和大橋。
当時、被害が大きかった眼下一体には倉庫や更地、工事中の重機がたくさん見えました。
震災以前は住宅地だった場所が新たな住宅は建てずに公園になるエリアもあるそうです。
雨続きだった空模様がこの日は朝から夏の陽射し、青空と青い海が印象的でした。
(宮城県石巻市)
裏山

ここに避難すれば助かっただろうと言われている裏山。
確かにそんな気がしました。
様々なルールやしがらみがあるのかもしれないけど命だけは守って欲しい。
まして子供の命が大人の犠牲になるなんてあってはならないことと思います。
(宮城県石巻市 大川小学校)
窓
教室

外から見た校舎の一階の一部です。
もしかしたらここには二つの教室があったのかも知れません。先日の写真の右側から見ています。
河口から4キロの距離のこの辺りの津浪高は10メートル以上、傍にある北上川を50キロも津波が遡上した、、
50キロをただ単に直線距離で言うと横須賀から東京までの距離、、
2011年の3月末に宮城県の名取市に行った時も惨状は見たのだけど
壊れた建物、歪んだ道路、倒れた電柱、散乱したガラス、、思い出そうと思えばたくさんあるけど。
当時は写真に撮るということは考えられませんでした。
(宮城県石巻市 大川小学校)
あの日を忘れない

大川小学校の校舎と供養塔です。手を合わせて合掌しました。
献花がいつも絶えないそうです。語り部ツアーのような団体の方々も何組もいました。
敷地の奥の方にはこの写真には写っていないけど慰霊碑もたくさんありました。
左側の道路の向こうは川幅の広い北上川が流れています。
行く前に何度も地図を見ていたのだけど、本当に川がすぐ目の前に。
(宮城県石巻市)
6年半

東日本大震災で職員、全校児童の7割が戻らない事となった石巻市立大川小学校です。
訴訟などがあったことは記憶にまだ新しく去年やっと結審が降りたようです。
この校舎も保存か解体か、様々な議論があった事と思いますが保存されることになったそうです。
何をどう考えても痛ましいとしか言いようがありません。
シルエットに見えているのは校舎の屋根と変形したスピーカー。
この地にいると、約6年半の月日がとても近いように思えました。
どうぞ安らかにお眠りください。
(少しの間、似たような写真を掲載する予定ですので気分を悪くされそうな方は
申し訳ございませんが閲覧をご遠慮ください。)
(宮城県石巻市)
夜ノ森の桜

2008年の春、母を連れて見に行った桜。
見事な桜のトンネルがあるというので当時は宮城県の親族宅にいた母を迎えに行き、太平洋を眺めながら列車を南に乗り継いで福島県双葉郡富岡町へ。「夜ノ森」という地区です。その日は朝から曇り空で夜ノ森駅に着いた頃には花冷えの雨が降っていて体が弱い母を労りながらだったためにゆっくりと観桜という訳にはいかず、またゆっくりと来ようと思ったものでした。駅に近付くに連れて見えた車窓からの桜景色も素晴らしかった。
夜ノ森地区は福島第一原発の近くにあり、東日本大震災の被災から6年経った今でも以前のようには行けません。今春からの避難指示解除や緩和で住民が戻る事が許される事が決まったらしいのだけど実際に戻る人は少ないとか…
完全復旧していないJR常磐線も、政府は東京オリンピックまでには開通させるというけれど、被災の復旧はそもそも東京オリンピックとは関係が無いでしょう。オリンピック云々という以前に復旧復興を優先すべきです。
たくさんの想い

ここにはふたつとして同じものが無いんじゃないかと
そんなふうにも感じました。
日本にはいったいどの位の種類があるのでしょうね。
代々、受け継がれて来たり、作られた年代や流行、
地方によっても色々な種類がありそう。。
ひとつひとつにはたくさんの想いが込められて。
追いかけっこ
春風
春遠からじ

宮城県で集められたたくさんの青い鯉のぼりが、数日間の間、箱根に来ていました。
青い鯉のぼりはもともとは発起人さんの命を落とした弟さんのことだそうです。
まだまだ集められるみたいですよ。
自分自身に出来る事はわずかかもしれないけれど続けて行こうと思います。
青い鯉のぼりプロジェクト http://www.ryukoutengoku.info/koinobori.html
忘れないで

涙をたくさん流しても拭いきれない辛さや忘れられない悲しみ苦しみ
何処へぶつけても報われない怒りや憎しみ
東日本大震災から明日で3年
自分自身に何が出来るのか問い直してみようと思います
※福島県いわき市(2012,7)
忘れない 〜回帰録 1〜

2011年3月23日
宮城県に住む親族の救援のために羽田空港からまずは山形空港へ。
山形空港上空から見えた冬晴れの澄む青空と白く雪化粧した穏やかな田園地帯がとても美しくて
これが東北の冬の本来の姿なのだと烈感した。
空港に降りると私と同じように大荷物を持つ人々で溢れていて
仙台市内へ向かう唯一の高速バスにも長蛇の列。
1台目を見送り2台目で乗車する事が出来た。
出発前の関東も早朝から震度4クラスの揺れが続き、羽田空港へ行く事さえも難行してたので
山形空港へ飛行中の約1時間『空にいる間』が唯一の安心出来る場所のような気がした。
1時間半〜2時間後に仙台駅に到着、駅付近は私が知っている景色ではなくなっていて
まるで違う街のようだった。
道、ビルの壁、ショーウィンドウのガラス、、随所にヒビや割れが見え、店舗は休業。
動きがあるのはありえないほど少ない自動車と人だけ、人が一番多く見えるのはバス停だけで
このとき、鉄道は止まっていたし仙台駅も被害のために立ち入り禁止だった。
都市人口数番目の街とは思えないほど閑散とした駅前の光景に
一瞬、現実を忘れそうになった。 (続く)
※宮城県名取市 2011,3,24
<当時の記事>
お休みします。 ~追記~2011-03-20(Sun)
被災地の早急な復興
お亡くなりになられた方々のご冥福を
心よりお祈り申し上げます。
For children.
いつもそばに
言葉にできない
歩む道
Smile
みんなの桜
冬空に願う
復興を願う
For you.
夜空を染めて
夜空の光
again.
To the earth.
Sleep again.
Once again.
カンナの夜

昼も夜も大空を仰ぐカンナ
このお花を見るたび不思議と強い生命力を感じます
今年3月の大震災の夜に大停電になった三浦半島
街灯りのひとつもない漆黒の空を今まで見た事の無い無数の星々が埋め尽くしていました
それは地球本来の姿でとてもとても美しいのだけど 人が住むには暗すぎる
でもあの星空を一生忘れません
↑画像をクリック(拡大)してご覧ください^^
♡NEW♡
「 ふんばろう東日本支援プロジェクト 」
※創設当初(2011.4.6)webで公開された広告用チラシ
「ふんばろう東日本支援プロジェクト」とは物資が行き渡らない現状を打開するために、行政を介さずに、
必要な物を必要な分必要な所へ無料で届ける画期的支援システム
一言でいえば【行政の目と手が届かない困窮地域への支援】です
このシステムはここ数日で日を追うごとに構築され
その勢いは日一日、刻々と進化しています
後方支援の後方で
『今の私にできること』
応援します
『ふんばろう東日本支援プロジェクト』公式URL → http://fumbaro.org/
※ここまでの本記事内容について転載等はご自由にお使いください

「ふんばろう東日本支援プロジェクト」とは物資が行き渡らない現状を打開するために、行政を介さずに、
必要な物を必要な分必要な所へ無料で届ける画期的支援システム
一言でいえば【行政の目と手が届かない困窮地域への支援】です
このシステムはここ数日で日を追うごとに構築され
その勢いは日一日、刻々と進化しています
後方支援の後方で
『今の私にできること』
応援します
『ふんばろう東日本支援プロジェクト』公式URL → http://fumbaro.org/
※ここまでの本記事内容について転載等はご自由にお使いください
<震災関連ブログご紹介>
川の字家族 (宮城県仙台市在住)
西條剛央のブログ:構造構成主義 (ふんばろう東日本支援プロジェクト代表)
私が先月行った宮城県で経験したこととその想い
20011.3.11から今まで何度も心が折れました
書きたいこと 吐き出したいことがたくさんあります
でもその前に「今」すべきことは
ライフライン全てがいまだ復旧しない困窮地域への支援です
少しでも多くの支援と救援を願ってやみません
ちゅらうみ
追記:コメント欄を再開いたしました
整わないPC環境と多忙のためご返信等が滞りますがどうぞご了承くださいませm_ _m
お休みします。~追記~
『 東日本大震災において被災された皆様ならびにご関係者様に 心よりお見舞い申し上げます 』
少しでも多くの救命と支援を願ってやみません
当ブログは諸事情により 暫くの間お休みさせていただきます
また再会できます日を願い、思い、
『今 私にできること』
出来る限りの支援を。
ちゅらうみ
<追記>
今週、親族が被災した宮城県へ支援に行きます
被災地には支援物資もまだまだ満足に届けられない状況の中
傷ついている心も少しでも安心させてあげたい
もちろん、食料や生活必需品など持てるだけ持って行きます
今回は陸路は最低限しか使いません
たくさんの方々のお役にはなかなか立てないけれど
せめて親族の分だけでも助けられれば
そのぶん他の困っている方に回すことが出来ます
私はなんとか動けるから行けるけれど
行きたくても動けない被災関係者の皆様
ご心痛 お察し申しあげます